Novel life~musashimankun’s blog~

漫画「きっと、いいことあるさ~君が住む街で~」を週刊で連載しています。

「闇が滲む朝に」🐑 章第1回 「巨大台風が去った秋に、何かが変わろうとしていた」

一寸先は闇でも、俺は生きている

  俺はまだ、こうして生きている。
 バイクを降りヘルメットを前の籠に入れながら森木徹は、ぽつりと言う。
 9月から10月にかけて日本列島をモンスター台風が襲った。
かつて日本人が経験したことのない巨大な台風は、ここ数か月、ふさぎ込みがちな徹に追い打ちをかけるように、ビビりさせた。
 

 車がほんの数分たらずで雨水にほとんど沈むなんて考えたことがあったろうか。
家の一階が瞬く間に川の濁流に埋もる・・・。やっと二階に逃げて、ベランダから洪水におびえ、家が濁流に押し流される恐怖を必死でこらえながらSOSのタオルを振る。
 人生の黄昏をやっと自宅で過ごせると安堵していたのに、突風に屋根が飛んだ。もう生きていく力さえ萎えて、残っていないと、その人は言った。

 

 たまたま徹の住むマンションの近くには氾濫する川がなかったが、偶然に被害を免れたに過ぎない。
 一寸先は闇なのだ。今も徹の脳裏には、なぜかテレビのニュースに流された台風の映像が焼き付いている。
 俺はまだ、こうして生きているんだからな!
 もう一度、徹はそう自分に言い聞かせる。

 

ま、いいかで決めた仕事

  洪水と突風に荒れた夏の余韻を引きずったまま11月に入り、昨日あたりから急に朝、晩が冷え込んできた。
 金曜日の午前10時、徹は箒を持ったまま、高齢者施設の「ラッキー園」の庭に出た。 3か月前から、ハイクリーンのスタッフとして、この施設で清掃の仕事をしている。

 自宅の●●の都営住宅からバイクで20分ほどの距離にあったことが、ここでの仕事を選んだ最初の理由だった。

 

 大学を卒業後は電機メーカーで営業職として働いてきたが、ここ数年の会社の業績悪化により、会社を辞めざるを得なくなり、新たな道を歩むことを決めたのだ。

 幸い息子の和樹は春からガソリンスタンドに勤めはじめ、妻の多恵子もスーパーのパート職に就いている。多くはないが預金も頼りに、ま、いいか、何とかなるだろうと、会社を退職してからとりあえず、清掃の仕事に就くことにしたのだ。

 

「ラッキー園」には約50人の高齢者が入居している。徹はクリーンモリカミの清掃スタッフとして、他の二名と平日の5日間の清掃を担当している。

 もちろん、清掃の仕事などやったことはないが、ま、なんとかなるだろう、と思いながら働くことを決めた。初めはすったもんだしたが、いつのまにか気が付いたら三か月が過ぎようとしていた。

 

 施設では入居部屋の清掃と廊下やトイレ、共用部の清掃が毎日の仕事だ。3階のフロアを田所明子と飯山伸江の3人で担当している。トイレ清掃も最初は嫌で嫌でしょうがなかったが、今は慣れた。不思議なものだ。人間は慣れる存在なのだ。改めて徹はそう思う。

 

 仕事は少しでも手を抜こうとしたら、ベテランの明子の目が光る。今年で70歳になる清掃歴15年のベテランだ。

 もう一人、伸江は中学生の息子を持つ40代のシングルマザーで、趣味はテニスときている。私と同じで美人だからと明子は言った。どこがや?明子とは違うが、伸江は確かに美人といえば美人の域に入るかも知れない。

 

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ツグミの飛来する庭で
 

 ざっざっ、ざっざっ、徹が「ラッキー園」の庭に落ちた銀杏の葉を集める。平日の昼前、施設内にはツグミの鳴き声が響く。この庭でツグミを見かけるとは思わなかった。
「ほら、今年も来てる」
 徹の後方で明子の声が聞こえた。
「どう、そろそろ終わりそうかい」
「いやあ、まだっすよ。葉っぱ結構、あるので」
 徹は箒を立てて答えた。

 

「じゃあ、明日にすれば。ここは結構、広いから二日はかかるわ。終わったと思ったら、また、しばらくしたら掃かなきゃいけないけど」
「そ、うですね」
「寒くなったあ」
 明子が寒そうに両腕を自分の胸の前で交差させた。
「ジャンバー着ないと、風邪ひきますよ」
 徹が再び箒を動かし始める。

「そうだね。急に寒くなった。インフルエンザ、注意しないとね」
「まだ、インフルエンザにかかりますか」
 徹が笑った。
「当たり前や。あほか。まだ、葉っぱ多いよ!。もっと、掃きなさい」
 いつもなら、徹の冗談を笑う明子だが、今回のジョークは通じなかった。逆に明子を怒らせてしまった。
 
 ま、いいか。と、徹は思う。そういえば、家でも同じように妻の多恵子を怒らせてしまうことが増えた。以前なら笑ってくれた筈なのに。
 徹の身の回りで何かが変わろうとしていた。

 

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