Novel「闇が滲む朝に」第★章7回「ええいっ!危険な暑さにバッドウォーターマラソンを意識も・・」
片山二郎は「鈴音」の洗面の清掃を終えると料亭の外に出た。異常な暑さが襲う。最高気温が35度と発表される日が続く毎日に、重い疲労を感じる。常日頃から毎日の肉体労働生活をトレーニングと考えている片山は、こんな時にアメリカのカリフォリニアで開催されるバッドウォーターマラソンレースのことを思い出す。最高気温が40~50度と発表されるレースでは、たぶん体感的には気温55度の中を217キロを48時間以内に走るのだ。暑さに耐えきれず吐く選手もいるという。
異常な暑さが疲労に拍車をかける
片山はボード拭きを終えるとタオルを洗いに「鈴音」の外に出た。床のモップ拭きを始めた。今日はついさっきまで雨が降り続いていたから、植栽の水撒きはやらないで済む。しかし、外は既に40度を超えている。
異常な気温上昇とにわか雨は、もはやこの日本は南国のようだと思う。片山は軽いめまいを覚える。しかし料亭内はクーラーが効いている。これも清掃員には助かるが、この時期、片山はクーラーの効いていない場所では、5分も動くと汗が全身に流れる。常に濡れタオルを持参していなければ熱中症になりかねない。
テレビの気象予報で最高気温が35度と発表される日は、都内で場所によっては40度を超えている。危険な暑さなのだ。片山はそんな時に重い疲労を自覚する。肉体労働はいかにトレーニングしていると自覚しても、本当は疲労が苦痛になる時の方が多いのだ。まさに夏の今の暑さは疲労に拍車をかける。
気温50度を走るバッドウォーターマラソンを思う
以前にマラソンを走っていた片山がそんな時に思い出すのは、バッドウォーターウルトラマラソンレースだ。アメリカのカリフォリニア州で開催されるマラソンだが、ここの気温が半端ではない。走行距離は217キロメートル、制限時間は48時間と、ここまではウルトラマラソンらしい。のだが、累積標高差は3900メートル以上で気温は40~50度、たぶん体感的には55度以上の中を走るのだ。しかもこのレースでは日本人の出場選手も多い。暑さからも途中棄権したり、吐いてしまう選手もいるという。
ええぃっ!自分もバッドウォーターマラソンに出場する選手としてトレーニングしているんだああ!と気合いを入れるものの、やはり、そんな選手たちから見たら脆弱も脆弱すぎる片山は、この異常な暑さに、おろおろしてしまうのだ。
「鈴音」の庭の水撒きをやらない日は雨が降っていなければ、庭の落ち葉拾いや洗面所の再チェックが仕事になる。周りを竹や木々で囲っている料亭には常に竹の葉が落ちる。毎日、落ち葉を拾っても次の日には必ず葉が落ちている。これはどこの現場に行っても同じで、落ち葉は拾っても拾ってもきりがない。まさにトイレや洗面所と同じだ。少しでも使用すれば数分後には汚れてしまうのだ。庭でも数分後には落ち葉が舞っている。
暑さを忘れるハンディソープの微かな香り
「片山さん、ちょっといいかしら」
外の落ち葉拾いから戻ってきた片山に良子が声をかけてきた。
「洗面のハンドソープのことなんだけど」
事務所のパソコンの前に座ったまま良子が言う。良子は料亭内では丸い銀縁のメガネをかけることが多い。この日もメガネをかけたまま片山に話しかけてきた。
「ハンディーソープはちゃんと交換して貰っているかしら」
片山はハンディーソープの件は前任者から引き継いでいなかった。
「ハンディーソープですか・・・・まだ、交換していません」
片山は答えた。
「ちゃんと引き継いでいただいていないのね」
良子が椅子から立ち上がった。
「こっちに来て。ハンドソープが置いてある場所と交換方法を教えるから」
良子はエレベータのボタンを押した。丁度、平が清掃を終えてエレベータから降りてきた。
「まだ、仕事ある? 自分は終わったから。先に引き上げるよ」
平は良子に挨拶し片山に確認した。良子の前では平は一言も無駄口をこぼさない。
片山は平の顔を見てうなづくと、エレベーターのボタンを押した。良子もエレベーターに乗る。エレベータは二階で止まり、そのまま良子は厨房へ向かった。中に入り厨房の下の扉を開けると中にハンディーソープが置いてある。
「このハンディソープのこと聞いていない?」
良子はハンディーソープを手にして聞いた。
「そうですね。まだ・・・・・でした」
「じゃあ、これを交換してほしいの」
良子は言いながら、近くの洗面所の前に立つと水道蛇口の近くにある容器を取り出した。
「この容器の中味を取り替えてほしいの。毎月、一回ほどチェックしてくれればいいから」
良子は容器にハンディソープを入れながら説明した。
「わかりました。さっそく明日から確認します」
片山は良子から渡されたハンディーソープの入った元の容器を受け取った。ふと、暑さを忘れる微かな香りが漂った。