Novel life~musashimankun’s blog~

漫画「きっと、いいことあるさ~君が住む街で~」を週刊で連載しています。

Novel「闇が滲む朝に」第★章6回「今日も元気だしていきましょう」

 片山二郎は「鈴音」の洗面の清掃を終えると、一階のお客の予約状況が記してあるボードをタオルで吹き始めた。そこに女将の武田良子が出勤してきた。Vネックの深緑色のTシャツに白いパンツ、カーキ色のショルダーバッグというラフな格好だ。いつも通りに挨拶すると、片山の前に香水の香りが漂った。料亭の女将というより、どこかの女性誌のモデルをしているといっても不思議ではない。ヨガが趣味で野球は詳しくはないが、イチローのファンだと、平が話していたことを片山は思い出した。

 

女性誌のモデルのような女将の出勤

 片山二郎は二階の洗面所を終了すると、「鈴音」の入り口付近に出してある事務所内のゴミを回収し外に出た。一時間前まで降っていた雨はやんでいる。そのまま裏口に回り水道のある場所に行って清掃用具を洗い始めた。ゆっくりはしていられない。次は「鈴音」の入り口付近にあるお客の予約ボードのチェックだ。

 

 片山はバケツからタオルを一本取り出し再び、外の水道でタオルに水を浸す。濡れタオルで中のボードに白線で記入されている予約者の名前を消すのだ。ボードは高額な材板質でできていることから、傷をつけてはいけない。だから水で浸したタオルが必要になる。

   濡れタオルで白線の名前を消した後に乾いたタオルで水分を拭き取る。この作業は急がずにゆっくりと丁寧にやることが求められる。予約者は多い時で五組、少ない時でも三組が記入されている。

 

 片山がボードの白線を拭いていると裏口から女将の武田良子が入ってきた。

「おはようございます」

 良子は早い時間帯に来る時は午前十一時前後には料亭に現れる。Vネックの深緑色のTシャツに白いパンツ、カーキ色のショルダーバッグというラフな格好だ。髪を下ろしたままの良子は実際の年齢よりは十歳ほど若く見える。切れ長の目に卵型の小さな顔をしている。切れ長の目が印象的な女性だ。

   どう見ても料亭の女将には見えない。どこかの雑誌のモデルをしているといっても、たいていの人は納得するだろう。おろした髪は、いつも仕事に就くと同時に束ねられる。かすかに香水の匂いが漂う。

 

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女将の趣味はヨガでイチローが好き

「おはようございます」

 片山はボードの白線を消しながら挨拶した。まもなく料理人の石井幸三も店に来た。

「おはようっす。今日も元気出していきましょう」

 今日も元気な石井は、いつもと同じ挨拶をする。どこかで聞いたような台詞だ。もちろん野球帽もかぶっている。

   石井がコーチを務める少年野球のチームから、プロ野球の選手が誕生したということを、以前に片山は話好きの平から聞いたことがある。確か日本ハムだっただろうか。そういえば、良子はヨガが趣味で野球は詳しくないが、イチローは好きらしい。これも平から聞いた話だ。

 

脳内で聞いた歓声と、もう一人の人物の声

「鈴音」は予約制の料亭だからほぼ、予定通りに店は開き閉店するが、「鈴音」のオーダー締め切りが午後十時だから、終了時間は午後十一時を過ぎることが多い。料理長の堺雄一は仕込みの都合から料亭に入る時間は昼前になるが、他のスタッフが出勤する時間は、それよりも早い時間帯になることが多い。

 

 良子は事務員の明子に何か伝えると四階の控え室に向かった。いつも入り口近くの事務室で座っていることが多いが、午前中は買い物などの仕事に行く。今日もきっと買い物をいいつけられたのだろう。明子はすぐに出かけた。

 

 良子が来ると、かすかな香水の香りが至る所に残る。謙虚で言葉使いも丁寧な良子だが、どこか男を惹きつける要素を持っている。良子が醸し出すそんな女性としてのかわらしさは、料亭を仕切る一方で女将に必要な条件なのだろう。

 片山はそんなことを思いながら、入り口付近のボードをタオルで丁寧に拭き続ける。イチローの姿が黒いボードに映り、片山の脳内でスタジアムを走るイチローに歓声が上がった。そんな時、片山は決まって誰かの声を聞くのだ……。

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