「闇が滲む朝に」🐑 章 第29回「二人の逃避行 ヒゲさんは一体、何者だったのか」
ジョイというハスキー犬
ヒゲさんは自宅に着くと徹をはなえを先に降りるようにうながし、車を車庫に入れた。
玄関の横には縦横2メートル程の柵が作られ、中には大型犬が寝そべっている。
「ジョイ」とヒゲさんが呼ぶと、尻尾を振りながら犬が柵ごしに駆け上がってこようとした。ヒゲさんは「よしよし」と柵の隙間から犬の頭をなでた。
「ずいぶんと、大きな犬ねえ」
はなえが少し怖そうに言う。
「はい。ジョイです。ハスキー犬ですけ。大丈夫ですよ」
ヒゲさんはうれしそうにジョイの首のあたりをなでながら答えた。
「また、あとでな」
ヒゲさんは言いながら自宅の玄関の方に歩くと戸を開けた。
「帰ったよお」大きな声で言いながら、「さ、どうぞどうぞ」と徹とはなえに家に入るよう勧めた。
「いらっしゃい。こんにちは」
家の中から一人の女性が出てきた。
「今日、『もとずろう温泉』に泊まるお客さんだ。さっき『竜乃湖』に連れてったさ。応接間にでも」
「そうですか、それはそれは、どうぞ、どうぞ」
女性は2人にスリッパを出した。小ぎれいな女性だと徹は思った。
「家内です。こちら森木さんとはなえさん」
ヒゲさんの奥さんは突然のお客に慣れているのか、柔らかな表情で二人を玄関から奥にある応接間に案内した。
家近くにクマもイノシシも出る
「少し寒いかも知れませんが、今、暖房を入れますので」
ヒゲさんの奥さんは言いながら暖房の自動スイッチをオンにした。
「さ、こちらに、どうぞ座ってください。お二人ともコーヒーでよろしいですか」
「あ、あまり気を使わないでください」
徹が申し訳なさそうに頭を下げた。
「大きな犬ですね」
はなえが言う。
「びっくりしたでしょう。でも大丈夫ですから。いやこの辺は山の中でしょう・・・・最近はどうも野生動物たちが増えていましてね。イノシシやシカ、クマなんかが下りてきたりするもんですから」
「そうでしょうね。比較的、町から電車で1時間と少しとはいえ、山間部ですもんね。そういえば、最近は民家の近くにもクマやイノシシが出たりするのが増えているとニュースで見たことがありますよ」
「ここでは、もうすぐ近くにクマがいたりするんですよ。数年前にも近くに住む登山家が襲われたりしていますし」
ヒゲさんの奥さんが深刻げに言う。
ヒゲさんは一体何者だったのか
「へえーそうなんですか」
「運よく命は大丈夫でしたが・・・・大けがをされたんです」
「そうですか。散歩は要注意ですね」
「駅から向こうの方の山は、トレイルランをやったりする人たちも多いようですが」
「ええ、でも。こちらの方に登るとやはり、雰囲気も変わってくるようです。少しお待ちください」
奥さんは思い出したように応接の外に出た。
応接間には多くの写真とトロフィーが飾られている。中には徹が知っているプロレスラーの写真もある。徹は写真の前に立つと、そのレスラーが天源一郎だということがすぐに分かった。
では隣に立っているのは誰か。徹は再度、その写真を見た。隣の男はヒゲはないが、確かに若い頃のヒゲさんだった。
え?、ということは。ヒゲさんはプロレスラーだったのか・・・・・。