Novel「闇が滲む朝に」第☆章8回「明日、世界が終わっても、今日、僕はリンゴの木を植える」
片山は「鈴音」の一階に戻ると、いつものように大きな花瓶の花に気づいた。この花瓶に入れられたバラやヒマワリなどの花や、ビルの植栽が自分に話しかけていることを感じることがあるのだ。同様に片山は元気になるリンゴが好きで毎日、食べるが、きっかけは幼い頃に偶然に知った「明日、世界が滅ぶとしても、今日、リンゴの木を植える」の名言だった。
花や植栽が話しかけてくる
良子から洗面のハンディーソープ交換の件を聞いた片山は、そのまま「鈴音」の一階に戻った。一瞬、疲労からめまいを覚える。めまいは深呼吸を繰り返すうちに収まった。
「鈴音」の大きな窓から片山は空を見上げながら、もう自分がこうして都会のど真ん中で、清掃業者として生きていることになんら違和感を感じることはなかった。忙しすぎて日中は自分を振り返る余裕などないといった方がいいかも知れない。その分、疲労もたまる。
しかし、それでもふと「鈴音」の入り口に入ると心が和らぐ瞬間があるのだ。この料亭には人をくつろがせる雰囲気が漂っている。
まず目につくのが、正面に飾られた大きな花瓶に入れられた五種類ほどの生け花だ。生け花は三日に一度は新しい花に変えられるが、この花々が店の雰囲気を表現している。荘厳でかつ鮮やかな色とりどりの光だ。
片山はユリやヒマワリやバラのエネルギーがこれほどに強いと感じたことはなかった。花の持つエネルギーは人を明るい気分にさせ、やる気を起こさせる。
世界が滅んでもリンゴの木を植えると言ったルター
「明日、世界が滅ぶとしても、今日、リンゴの木を植える」と名言を残したのは、ドイツ人の神学者マルティン・ルターだが、この名言を幼い頃に知った片山は、いつの頃からか毎日、リンゴを食べるようになった。
リンゴは身体の健康に良く、人を元気に幸せにする力があると片山は感じる。いつもあの果物を見ていると、「さ、今日もがんばって」とエールを送られていると感じるのだ。
そう、「明日、世界が終わっても、今日、僕もリンゴの木を植える」と片山も思う。リンゴに感じる感覚、それは自宅近くの大きな桜の木が話しかける感覚と同じ感じなのだ。
同じように「鈴音」の花も、ビルの周りの植栽もそうだ。自分にエールをおくり何かを語りかけていると感じることがある。ほんまかいな、と思うかもしれないが。
片山はクリスチャンではないが、なぜルターがあのリンゴに関する名言を作ったのか関心を持った時期があった。彼は賛美歌を多く作ったのだ。
なかでも「神はわがやぐら」は有名だが、この賛美歌は「詩編四六編」が題材になっている。そういえば、内容も似ているのが分かる。
明日、世界が滅びることを知っていても、今日、リンゴの木を植えると言ったのは、ルターが、どんな状況になっても誰か、確かな存在が自分を守っている、そんな自覚と希望を見いだしていたからだ。だから、こう記したのだ。
「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない、地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも・・・・・・・」(聖書 新共同訳)
いつも汚さずにはいられない人たち・・・・
片山は一階廊下のモップによる掃き掃除を終えると再び、ビルの外に出て表通りの掃き掃除を始める。ここの落ち葉を掃きながら、ペットの尿が残っていないかを確認するのだ。毎日のように犬の尿がビル正面のカツラの木の近くにかかっていたりする。
飼い主は他人の庭を犬の尿で汚すことを何も考えていないのだろう。片山は尿を発見するたびバケツに水を汲み、尿の部分に強く水をかける。それでも取れない場合はモップで強く拭く。
オフィスビルの廊下についたヒールマークを消す要領で、モップに足を乗せ強く汚れの部分を擦るのだ。たいがいはこれで汚れが取れる。
今日も犬の尿が残っている。片山は裏口に置いてあるバケツを取り出すと水を入れ尿の跡の残っている場所で、水をかける。それが終わるとモップを取り出しバケツの中の水を浸し、中の廊下の掃除を始めた。
「今日は植木の水まき頼むよ」
後方から先輩の平が声をかけてきた。
「ハンディソープの件、女将さんに交換するように言われました」
「そうなの・・・」
平が少し驚いた表情を見せた。
「ハンディソープは事務員が交換していたんだけど」
「そうですか。これからは自分が交換するように言われました」
片山が平に言う。
「じゃ、これから頼んだよ」
平が笑顔を見せた。