Novel life~musashimankun’s blog~

漫画「きっと、いいことあるさ~君が住む街で~」を週刊で連載しています。

Novel「闇が滲む朝に」第★章4回「暑さにも、雨にも、風にも負けない力」  

 片山二郎が「鈴音」の給湯室の清掃を始めようと、物置き場から上の階に上がろうとした時、トイレを清掃する吉見鶴子が入ってきた。鶴子は息子と娘を持つシングルマザーだ。今年で65歳になる。新潟出身だが大阪に住んでいたことがあり、会話はほとんど関西弁になる。そんな鶴子はいつも通りけらけらと笑いながら、建設会社に勤める息子の自慢話をする。片山はふと鶴子が、いつもくくっと笑いながら、息子の自慢をするからトイレ清掃も続けられるのだと思う。
 

雨にも負けず、風にも負けへんで
 片山二郎はモップをそのままバケツの中に置いて「鈴音」の中に入った。中から物置き場に続くドアを開け、自分の清掃用具を手にした。これから給湯室の清掃を始めるのだ。
 そこにトイレの清掃を担当している吉見鶴子が入ってきた。
 「おはようさん」
 今年で65歳になる小柄な鶴子はひょこひょこと歩きながら、傘を物置近くにおいた。
 
 「蒸し暑いなあ。雨もなかなかやまへん」
 鶴子は新潟で生まれたが大阪に住んでいたことがあることから関西弁で話す。
 「今日は細かい雨ですね。大振りじゃないからいいけど」
 片山が扉の前で立ち止まった。
 「平さんはもう上に行ったんか」
 「ええ。さっきまでいましたけど」
 
 「しかし、しばらくは雨ばっかやろな。ほら、なんていうたか。雨にも負けず、風にも負けずってなあ」
 鶴子が笑顔を見せる。
 「ああ、そうですね、有名な」
 「誰やったか、あの」
 「宮沢賢治です・・・・・か」
 「あ、そう、宮沢賢治のなあ。雨にも負けず、風にもまけへん、ん?ずやったか・・・・なんやった。死にそうな人がおったら助けにいく。やったか」
 
 鶴子が首にタオルをあて汗をふきながらけらけらと笑う。鶴子はくくっと笑うのが癖なのだ。シングルマザーで息子と娘がいる。子供は二人とも社会人だ。建設関係の仕事に就いている長男が仕送りをしてくれるから、清掃の仕事だけで生活ができるという。くくっと笑う時は、だいたい息子の自慢話が口に出る。

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ただ、仕事に敢然と立ち向かうということ
 「その雨にも負けずって、息子から聞いたことがあるんよ。いや、たまにしんどいわって仕事の愚痴を言うとな、雨にも負けず、風にも負けずってなあ息子がいうんよ」
 鶴子がけらけらと笑う。たぶん、鶴子はいつも、心の底でくくっと笑いながらトイレ清掃をしているんだと片山は思う。だから、トイレ清掃ができるんだと。
 
 もちろん、片山も清掃の仕事に就いている以上はトイレ清掃はできなきゃいけない。知らん顔などできないのだ。いつ、担当者が休むか分からないのだ。
 「鈴音」で仕事を始めた時に、一応のトイレ清掃の流れを鶴子から教わった。幸いなのは「鈴音」のトイレはホテル並みに綺麗だということだった。
 
 清掃員にとって何よりも心臓がドキッとするのは、「トイレが詰まりました」という客からの声を聞いた時だ。この時ほど、嫌だなあと思う時はない。できれば他の人にまかせたい、と片山は思う。
 そういえば、こんなことがあった。それは「鈴音」ではなくツキノワグマビルでの出来事だ。
 ツキノワグマビルの平日のトイレ清掃は早朝から女性が担当している。このビルのトイレの詰まり清掃は清掃業の管轄ではなくビル管理課が担当しているが、急ぎでビル管理員がいない時などは清掃員が行うことになる。依頼が来たら逃げるわけにはいかないのだ。
 
 便の詰まり作業を片山はハイクリーンで仕事を始めて半年が経過した頃に経験した。年明け早々、ツキノワグマビルでは新年会が開催され、全国から社員が集まったのだが、この時に男子トイレで便器の詰まりが発生した。
 当時、片山はハイクリーンの常務である時田庄一に連れられ現場へと向かった。三階の男子トイレの大便用トイレの一室が詰まり水が溢れていた。汚物はないがトイレットペーパーの使いすぎが原因だった。
 
ひるむことなく、なんでもこいやーの精神で
 片山の前で、空手有段者の時田はひるむことなく、ううむと言いながら詰まっている便器に向かいラバーカップをプッシュした。片山は個室には向かわず、トイレ内にあふれた水をかっぱぎで集めバケツに次々と入れたのだった。これが片山のトイレ詰まり清掃初体験の仕事だった。

 この清掃を含めて詰まりの清掃は今までに二度ほどしかない。二度目はそれから十か月が経過した頃だった。二度目もツキノワグマビルの女子トイレだった。この時はそれ程にひどくはなくラバーカップを便器で数回、プッシュするだけで水が流れ始めた。だからトイレ清掃で嗚咽をもようするという経験は今のところない。
 
 人は誰もが謙虚にならなきゃいけないと片山は、トイレ清掃を通じて思う。自分も含めて誰もが便器を汚してしまう存在なのだ。最近は、それは人間が生きている証拠なんだなあと思うようになった。以降は、「えいやっ!ま、いつでも、なんでも、こいやあー、逃げんわい」と思うことで、「おおーっ!!」と思わず心臓が飛び出すようなトイレの悲惨な現場には遭遇していない。

 

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